2007年9月 8日 (土)

初体験の夏。その8

割に合わない!!

“入院の話でいつまで引っ張るんや!”とお思いの読者の皆様。もうしばらくのご辛抱を。
私の中ではそれぐらい大きな体験だったのです。

結果的には40℃の熱が10日ぐらい続き、その間食事らしい食事もほとんど取れなかったので、正直言って期待していました。

体重。

あんなにしんどい思いをしたので、それに見合うご褒美があったっていいじゃない!!
入院中も最初はもの珍しくて喜んだけど、結果的には、あまり食欲が湧かず食べられなかったし。10Kgはいけてるはず!うふっ!ビリーズブートキャンプより割がいいぞ。

病院のナースステーションの前にあった体重計に誰もいないのを見計らってこっそり乗ってみました。

・・・(ーー;)

3Kg

それって、それって、私のこの味わったしんどさに比べてあまりにもあまりにも割が合わないんじゃなくて!?

おまけにおなかのお肉はそのまま、なんだか胸と顔のお肉がなくなって“ただやつれた”だけみたいになってるしー!!

やはりそんなに世の中甘くないと思った出来事でした。

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初体験の夏。その7

決して後ろ向きの話じゃなくて・・・

昨日、退院一週間の検診に行ってきた。

検診結果、肺の炎症反応も肝臓のγ-GTPも正常値に戻っていて「もう大丈夫ですよ」と担当医に言われた。

血液を採ってもらって結果が出るまで1時間ほどかかるので、その間退院が急に決まったので、挨拶できなかった同室の人に会いに行くことにした。

肺がんの50代の女性。ふらふらの私に何かと親切にしてくれた人。この1週間の間、抗がん剤の治療を受けていたらしく今度は彼女がヘロヘロになっていたが、これで肺のガンが消えてくれれば、9月末には退院できるという。色々話した後、握手してわかれた。

生きていてください。そう思った。

まだまだやりたい事がその人にはあるような気がしたから。

病室を後にしてから、売店まで歩いた。入院中はこの売店までの道のりが遠くて遠くて(同じ病院の中なのに)、途中で休憩しないといけないぐらいしんどかったり、途中で吐き気をもよおしたりした。

リベンジ。全く問題ない。体力は1週間で確実に回復している。

入院中行ってみたかったけど、体力的に自信がなくて行けなかった喫茶店にもリベンジ。
コーヒーを飲んでみた。病気をして以来久々のコーヒー。とびきりおいしいコーヒーっていうわけじゃなかったけど、なんだか心に沁みた。

肺炎になって、入院して、周りの人から言われたこともあるが初めて自分の年齢を意識した。
私は、あほみたいだけど本当に気持ちは20代のままでいたので、実年齢を聞かれても、なんだかピンとこなかった。

友達から“止まると死ぬタイプよね”などと随分言われてきたが、自分でムリして生きてきたつもりもなかった。今もない。
ただただ、自分の思うままに自分の楽しい方向に向かって生きてきた。

今回、肺炎になって、それだけじゃだめなんだな~と身にしみた。身体も大切にしてあげなくちゃいけない。この夏、ずーっと寝る時間が惜しくてあんまり寝ていなかった。走る時間も大切だけど、休む時間も大切。自分を振り返る時間も大切。

いい意味で年齢を忘れずに身体を大切にしないといけないんだな~。身体は、私がこんなに酷使した後でも確実に回復してくれている。

ありがとう。私の身体ちゃん。

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2007年9月 6日 (木)

初体験の夏。その6

生と死を考える

久々のパソコンからの投稿です。
なかなかパソコンの電源を入れる体調になりませんでしたが、そろそろ復活です。

そうそう、入院したものの病名を言っていませんでしたね。肺炎です。
風邪をこじらせた以外の何ものでもありません。

入院生活は、最初はしんどいながらも“3食昼寝付きのホテルだと思えば楽しめるわ♪”などと呑気に考えていたのですが、やはりそこはホテルなどではなく、まさしく病院でした。

私は肺炎だったので、呼吸器科の部屋で看護を受ける事に。
当然、呼吸器を病んでいる人たちと同じ部屋にいます。

話を聞いて見ると、肺がんの人も同じ部屋で2人いらっしゃいました。
この病名も、
「アナタは何の病気ですか!?」
「癌よっ!」
などと無神経な会話が飛び交うわけもなく、毎日数回回ってくる看護士さんとの会話からなんとなく、わかってしまうのです。

病室のカーテンは、出産のときの部屋とは全く違っていて、ほとんどの人が終日閉じっぱなし。私もベッドが通路側だったこともあり、通路を通る人から寝ている姿が丸見えになるのがイヤで、閉じている事が多く、それが一日中になると異常な圧迫感を感じ、同じフロアーの談話室で1人でボケーッと過ごす時間がだんだん増えてきました。そうそう、こっちの友達には入院した事はほとんど誰にも言っていませんでした。

心配かけるのも嫌だったし、言ってお見舞いに来てもらうのも正直体調があまりすぐれないので無理っぽかったし、何よりお風呂にも入れないお化粧をする気力もない自分を見られるのが辛かったっていうのもあります。

談話室とは、面会に来た人たちが部屋であまりうるさくなるといけないからと集まるところなのですが、ここにずっといると、色んな人間模様が見えてきます。

病院で入院している患者さんの親族が集められ、経過報告といよいよ危ないと言う話を告知している場面にも出くわしましたし、旦那さんの看病で疲れた奥さんのうたた寝の場面やら、患者の家族が病気について話している場面も見ました。

何より、親族が集められている患者さんの個室には、あわただしく看護士さんや医師が出入りしていて、チラッと見えたその人は、身体中に点滴のチューブがささり、酸素マスクをし、心電図を取るために胸にはあの吸盤のようなものが貼り付けられ・・・と色んなものに命を繋がれている状態でした。

“自分が死ぬときは・・・”ということをリアルに考えてしまいました。
病院のベッドであんなに色んなものに繋がれて死ぬのは嫌だ!

看病で疲れた家族の表情も何度も目にしました。
何より、家族に迷惑をかけたくない!

OLになったばかりの頃、ホスピス関係の本を読み漁って“死ぬこと生きること”について、悶々と考えていた時期がありました。その時、同期の男の子に“こんな事で毎日悶々と悩んでるんだ”と言うと、“死んだことないから、死ぬことなんでわからんやろ!考えてもわからん事は、考えるな!”と言われて、なんだかホッとして考えるのをやめたことがありました。

でも、今はなんとなく違う気がします。

“死”というものについて考えていると“自分が死ぬまでにどう生きたいのか”を考える事に繋がる。“自分がどう生きるか”ということについても、入院して改めて真面目に考えるようになりました。

それも、“死”と真正面から闘っている人たちと、多少なりとも触れ合ったからだと思います。

そこには、“対面”とか“外見”とかそんなものに見向きもせずに、それこそ必死に病気と向き合っている人たちがいました。

“死”というものは、遥か遠い彼方にあるものなのではなくて、いつ不意に自分に訪れるかもわからないものなのだということも、今回の入院で体験しました。
本当に10日ほど40℃の熱が下がらないと、“自分はヤバイ!?”と考えてしまうのです。

いかに生きるか。

これを学ぶために、今回の私の病気は私に訪れたのかもしれません。
そんな気がする今日このごろ。

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2007年9月 3日 (月)

初体験の夏。その5

仕事か尊厳か。

入院して初めて実感としてわかった事だが、看護士さんの仕事は、めちゃめちゃハードである。
朝9時から夕方の5時まで私を担当してくれていた看護士さんが、また深夜1時から朝9時までの勤務で現れたりする。
“さっきまでいたのに、また来たの〜!?”という感じ。
ここの病院は三交替制なので こういう事がよくあるらしい。
よく身体持つよな〜と素直に感心してしまった。
また、仕事の内容上、「申し送り」はとても大切な業務。
でも患者さんの細かい心の機微みたいなものは、なかなか伝わりにくく、起こった事のみが、事実として申し送られているので、“患者さんの心に添った看護”っていうのは、今の勤務体制では難しいんだろうな…と感じた。

入院翌日、私は高熱が出ながらも大部屋に移動になった。HCUという場所はよっぽどの場合以外は一泊で一般病棟に移動になるらしい。
私も一般病棟に行ったことで、“大丈夫だからだよね”と少し安心したりもしていた。その大部屋で私の前のベッドだったYさんが看護する側からみるとなかなかの問題おばさんだったらしい。
詳しい病名はわからなかったが、脳に腫瘍があったらしいYさん。
病気のせいか、足元がおぼつかない。トイレに行くにも私が見ているだけで、二回転んでいた。
看護する側からすると転んで怪我をするような事があるといけないので、「トイレの時は必ずナースコールしてくださいね!」と看護士さんが来る度に言っていたのだが、Yさん的には“自分でできる!”という気持ちがとても強かったらしく、何度言われても一人でトイレに行こうとする。
Yさんが転んだ時に担当していた看護士さんは「今から始末書書かないといけなくなりました!」と愚痴っていたが、“トイレに一人で行けない自分”を認めたくないYさんの気持ちもわからなくもない。“人間としての尊厳”の問題か、“プロとしての仕事を全うする”か、どちらの気持ちもわからなくもないな〜となんだか考えさせられてしまった。
こんなことも、入院してみないと全くわからなかった世界。
人生に無駄な事なんてないな〜と思った。

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2007年9月 2日 (日)

初体験の夏。その4

針が入らない!

入院翌日、熱も下がり少し身体が楽になるが、全身の倦怠感が抜けない。
入院と同時に始まった24時間点滴も利き腕の右手にされていたので、食事をとるにも、トイレに行くにも不便さが否めない。
朝、新しい抗生物質を点滴するにあたり、左手に点滴の針を入れ直してくれる事になった。
元々、女性は男性に比べて血管が細いうえに浮き出ていないので、注射はしにくいそうなのだが、この一週間、ほとんど食べ物らしい食べ物を口にできていなかった私は、より一層血管が細くなっていたらしく、点滴の針がなかなか刺さらないらしい。
始めは担当してくれていた看護士さんが必死でトライしてくれたのだが、無理だったらしく、“うちのエースです”といわれた看護士さんが、手首の所から二回トライ。
…って、私はラグビーかっ!
結局、血管が細すぎて入らなかった。私の腕には針の跡が増えていく。
ちなみに点滴の針は長くて太い。だからこそ難しいらしい。
結局三番手の男性看護士が30分以上かけて、点滴の針を入れてくれた。
変な趣味はないのだが、私は注射をされることとか、血を抜かれる事とかが結構平気。
一時間近く続いたこの“針が入らない騒動”も観客気分で“あらあら大変ねぇ”ってな気分で見ていた。こればっかりは、私が努力したり協力してどうなることでもないので、のんびり眺めていた。
その後、薬で下がっていた熱がまたまた上がり始める。
身体がだるいな〜と思っていたら、またいつもの寒気。熱が上がり始める前触れ。
その後、結局39.7度までまた熱が上がった。
いったいいつになったら熱が上がらなくなるのか、“入院してもダメやん!”という焦りみたいな気持ちが私の心を支配してくる。
私は、自分の身体に謝っていた。“ごめんね。ありがとう”と…
つづく

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2007年8月30日 (木)

初体験の夏。速報

今日の午後、無事退院しました。
ご心配おかけしました。
体力が落ちているようなので、しばらくおとなしくしておきます。
(たくさんの人から“おとなしくしときなさい”と言われる私…)
病院での出来事は忘れないうちにアップします。

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2007年8月29日 (水)

初体験の夏 その3

病室に入って数時間。実家の母が来てくれた。
なんとなく、“母が来てくれるんだろうな〜”と思っていた。それも“あれ持ってきとほしいな”と思っていた服を持ってきとくれている。さすがっ!
家では姑がコータローと留守番をしてくれている。
どちらの母も大阪から名古屋までかけつけてくれた。その間、それぞれの父は一人だ。
上のたくちゃんちでもコータローを遊ばせてくれてるし、私が入院したことで、たくさんの人に迷惑をかけている。
申し訳ないな〜と思った。
そして、何よりコータローに淋しい思いをさせている。
あーあ。何してるんだろう…周りにしんどい思いをさせないために、動いていたのが、結果的に私が身体を壊してたら意味がない。
身体が動けない分、頭の中で後悔がグルグル回る。
入院一日目の夜、私はまた寒気に襲われる。
“入院しても熱が下がらん”
“もしかして治らないんじゃないか…”
“親より先に死ぬのはめちゃめちゃ親不孝やな”
“もうちょっとコータローの成長を見たい!”
身体がしんどすぎると人間かえって眠れないもので、夜寝ないでいるとろくな事を考えない。
幸いHCUにいるので、とても手厚い看護を受け、朝方には薬を飲んだこともあり、少し元気になる。
つづく

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2007年8月26日 (日)

初体験の夏。その2

救急車で病院に着くと、待ち構えていた看護士さんの誘導でER(救命救急治療室)へ。
そう、あのNHKでやっていた外国のテレビのあれ。日本では江口洋介と松嶋菜々子がお医者さんをして、ドリカムの主題歌が流れていたあの救命救急だ。もちろんそこには江口洋介みたいな医師も松嶋菜々子みたいな医師もいなかった。当たり前か。
よし、次はストレッチャーから救命救急のベッドにみんなで「いちにっさん!」とか言いながら移してくれるな…と思っていると、「こちらのベッドに移動してください。」と言われた。そりゃそうか。私、歩けるんだし。
何はともあれ、ベッドに移動し横になるとたくさんの腕が延びてきて、一度に血圧を測ったり、心電図をとったり、点滴をしたりしている。すごい手際のよさだ。
一通り終わると、隣の部屋に車椅子で移動し、寝たままレントゲンとCTを撮る。
医療は進んでるな〜と思った。
それも終わると、ICUではなく、HCUというところに入った。今晩はここで一晩看護してもらえるらしい。
先生の説明では、二、三日したら抗生物質が効いてくるでしょう。とのこと。
え〜!!もう一週間40度の熱が出てるんですけど…
頭がおかしくならないか心配。
でも正直言って、病院に入ってちょっと安心した。夜中寒くて寒くてたまらないときはナースコールをすればいい。
“起こすの悪いな”とか“自分でやろう”…“起き上がれない!!”とかの葛藤を数時間もしなくていい。
部屋に入ると間もなく昼食が運ばれてきた。
なんと、鰻丼!私は食事制限がないので、なんでもありらしい。
数日間ろくに食事を食べていなかったが、ここはありがたくいただくことにした。案外いける!
出産の時を除いて、初めての入院生活が始まった。
つづく

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2007年8月24日 (金)

初体験の夏。

毎日点滴に通い、薬を飲んでいるにもかかわらず、熱がなかなか下がらない。
判で押したように昼と夜に40度前後の熱が出る。家事はもちろん自分の身体を動かすことさえままならないほどの倦怠感。今まで何度かの引越しも絶対親に頼らず、やってきたが、今回初めて親にヘルプを出すことにした。
熱が出始めて一週間。これ以上高熱が続くと頭がおかしくなりそうだ。

朝、熱が出てフラフラしながら掛かり付けの病院に行き、そのまま入院することに…
「準備も何もしてきてないんですけど…」という私に、
「後からご主人にでも持ってきてもらいなさい」とつれない返事。おまけに
「救急車乗る?」と聞いてくださる。
「救急車ってお金かかるんでしたっけ?」と聞くとそこにいた全員に
「かからないよ〜」と総突っ込みされた。なかなか乗れるチャンスもないので、有り難く乗せてもらうことにした。救急車で入院すると、その後の診察等もスムーズにしてもらえるらしい。
…感想…あんなに乗り心地が良くないとは思いもしなかった。日本の救急車は乗り心地について、もうちょっと機能向上するべきだ。いや、乗り心地について云々言うような人間は乗るべきではないということかもしれない。
つづく

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